万葉集は日本に現存する最古の和歌集です。
様々な身分の人の歌を集めたもので、
7世紀から8世紀にかけて編集されました。
4500首以上もあり、
その中には恋の歌も、いくつも詠まれています。
今回はその万葉集の中でも、有名な恋の歌について、
現代語訳をつけて、お話したいと思います。
「茜さす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖ふる」
よみ:「あかねさす むらさきのゆきしめのゆき
のもりはみずや きみがそでふる」
〈現代語訳〉
茜に輝く紫草が生えている、狩場の標(しめ)を張った野原を
行き来しているあなた、
そんなに袖を振っては、野の番人に見つかってしまうではありませんか。
この歌は額田王(ぬかたのおおきみ)という人が詠んだ歌です。
彼女は「日本のクレオパトラ」とも呼ばれるほど、
恋の多かった人だとされています。
今、ご紹介した歌は彼女の歌の中でも、最も名な歌です。
この歌は恋人の大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇)へ
贈られた歌ですが、
これに大海人皇子も応えて、次の歌を詠んでいます。
「紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に吾恋ひめやも」
よみ:「むらさきの にほへるいもを にくくあらば
ひとづまゆえに われこいめやも」
〈現代語訳〉
紫草のように香れるあなたがもし憎かったなら
人妻と知りつつも、なぜこんなにも恋こがれようか。
直訳しても少しわかりにくいですね(笑)
すごく簡単に表現すると
「すごくきれいなあなたに恋をしてしまって、
俺は気持ちを抑えることができないんだよ!」
と言っているわけです。
ちなみに僕だったらこのセリフは、口が裂けてもいえません(笑)
こんなことをさらっと言ってみいたものです。。。
と、僕の話はさておき、
今の2つのやり取りは、万葉集の中でも
有名なやりとりです。
現代は誰かに手(袖)を振ることなんて
友達同士でもするような、あたりまえの行動です。
しかし、奈良時代は
「相手の気持ちをこちらに向けさせたいという、願いが込められた行為」
として認識されていました。
早い話、大海人皇子は好き好きアピールをしたわけですw
ただ、大海人皇子が詠んだように、
この二人の関係は不倫です(汗)
しかも、相手は大海人皇子の兄、、、
つまり天智天皇です。
大海人皇子の恋人であった額田王を
天智天皇が好きになってしまい、
額田王を妻にしてしまったわけです。
そのかわりに天智天皇は、自分の娘を2人、
大海人皇子に嫁がせています。
不倫関係ともあれば、公にはできませんよね。
野原の番人に見つかっては大変です。
額田王はそんな
嬉しいながらも、ハラハラ、ドキドキした気持ち
を歌ったわけです。
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ここまでの話だと、
天智天皇がもの凄く悪い奴に、聞こえるかもしれませんが、
額田王にとっては天智天皇も
しっかりと想うべき存在だったようです。
なぜなら、天智天皇に向けて次のような
歌を詠んでいるからです。
「君待つと 我が恋ひ居れば 我が宿の簾 動かし秋の風吹く」
よみ:「きみまつと あがこいをれば わがやどの
すだれうごかし あきのかぜふく」
〈現代語訳〉
あなたを恋しくまっていると、自分の家の簾(すだれ)が
そよそよと動いたので、あなたが来てくれと思ったけど、
秋の風がふいただけでした。
今は携帯電話というものがありますので、
好きな時に好きなだけ話したり、
メールでのやりとりができたりしますよね。
でも、この時代にそんなものはありません。
また、結婚というものが今とは、スタイルが異なっています。
現在は結婚すれば、同居する場合がほとんどかと思いますが、
この時代に同居という習慣はありませんでした。
男性が女性のもとへ通う、妻問婚でした。
額田王は天智天皇を待つ寂しさを
秋風になぞらえてこの歌を詠んだわけです。
恋多き額田王は大海人皇子と、天智天皇の間での三角関係に
時に喜び、時に悩まされていたようです。
額田王の歌に共感できた方も、いらっしゃるのではないでしょうか?
今も昔も恋愛における心情は変わりないようです。
ここまで、額田王の歌のエピソードを
お話してきましたが、これらのエピソードにはいろいろな説があります。
実は大海人皇子と額田王は疑似恋愛(歌会のお遊びなど)で、
この歌を詠んだとか、
額田王は大海人皇子の歌は
この元恋人達が、40代になってから
後に天皇が開いた歌会で
昔の恋心を思い出して詠んだとか。。。
どれも確証ありませんが、
後者であった方が素敵ですよねw
さて、本当はもっと他の歌についても
お話するつもりだったのですが、
思ったより長くなってしまいました。
続きは第2弾でお話することにします。
第2弾はこちらから⇒万葉集の恋の歌を現代語訳でご紹介!第2弾