この記事は、百人一首の恋の歌シリーズ第2弾になります。
前回の第1弾を、まだ読んでいない方は
まずは、こちらからどうぞ
それでは百人一首の恋の歌シリーズ第2弾のスタートです!
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
よみ:きみがため おしからざりし いのちさえ
ながくもがなと おもいけるかな
現代語訳:あなたに会うためなら、惜しくないと思っていた命ですが、
あなたと結ばれた今となっては、長生きしたいと思うようになりました。
この歌は、朝になって女性と別れた後に送った、
後朝(きぬぎぬ)の歌とされています。
当時は男性が女性のところに通って、一晩を過ごした後、
特に初夜の後は、後朝の歌を送るのが礼儀だったそうです。
作者は、藤原義孝(ふじわら の よしたか)という人です。
この歌からは、義孝の強い気持ちと、
恋が実ったあとの心変わりが、良く伝わってきますね。
この恋のためなら、命すら惜しくないと思っていたのに、
想いが通じた後は、いっそうに気持ちがつのり、
少しでも長生きしたと、気持ちが変わったわけです。
「生きることへの喜びが生まれた」
と言ってもいいかもしれません。
ん~。。。。
若々しさも感じますね!!
「さっき会ったばかりだけど、もう会いたくなっちゃったよ!!」
って、感じではないでしょうか?
そう考えると、なんか
「めっちゃラブラブなんだろうな~」
って気がしますね!
ま、「命」という言葉を使っていますから、
そんな軽いノリではないのでしょうけど(汗)
いずれにしても、恋が実った後の
嬉しさとか、高揚感とか、気持ちの強さとかが
にじみ出てる歌かと思います。
ちなみに、義孝は21歳という若さで亡くなっています。
天然痘(てんねんとう)が原因です。
若さを考えると、なんとも儚く、悲しいですよね。。。
藤原定家は、単純に「歌」だけでなく、
そういった「歌の背景」とかも考慮して、
この百人一首を、選んでいたのかもしれませんね。
忘れじの 行く末までは かたければ 今日を限りの 命ともがな
よみ:わすれじの いくすえまでは かたければ
きょうをかぎりの いのちともがな
現代語訳:「いつもまでも忘れないよ」とあなたは言ってくれますが、
遠い未来まではわからないので、
幸せな今日のうちに、死んでしまいたいと思うのです。
作者は儀同三司母(ぎどうさんしのはは)です。
本名は高階貴子(たかしなたかこ)といいます。
貴子はエリートでイケメンの藤原道隆に、愛されるようになります。
これは、貴子が道隆に贈った歌です。
「私の彼氏、イケメンだし、モテるし、不安。。。」
って、経験をした女性も、いらっしゃるのではないでしょうか?
そんな不安な気持ちと、道隆を愛する気持ちを歌にしたわけですね。
永遠を約束してくれた恋人の言葉に、喜びながらも
どこか不安を感じる。。。
そんな乙女心が、良く伝わってくる歌ではないでしょうか?
ちなみにこの二人はちゃんと結ばれて、結婚しています。
で、その長男の伊周(これちか)が「儀同三司」という位に就いたため、
貴子は儀同三司母と、呼ばれるようになったわけです。
ま、めでたしめでたしなお話、というわけですね~(*^_^*)
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逢ひ見ての 後の心に くらぶれば昔は物を 思はざりけり
よみ:あいみての のちのこころに くらぶれば
むかしはものを おもわざりけり
現代語訳:あなたと逢って、一晩過ごした後のこの気持ちを考えると
それ以前の自分は、何も思わなかったのと同じだなぁ
もう少し、わかりやすく表現しまと、要は。。。
「あなたのことが好きすぎます!!
この気持ちと、あたなに会う前の自分を比べると、
前の自分は何も考えてなかったのと一緒だよ!」
と、いった具合になるかと思います。
作者は藤原敦忠(ふじわらのあつただ)という人です。
権中納言敦忠と呼ばれることもあります。(権中納言は階級)
この歌で敦忠は、大切な人と想いを交わしたあとの
気持ちを大きさを表現したわけですね。
その「大好き」「好きすぎる」といった気持ちが
ストレートに伝わってくる歌かと思います。
ちなみに、歌にある「逢い見て」という表現ですが、
この当時は「逢い見る」=「夜の営みをする」
が基本的な解釈になるそうです(#^.^#)
あま~い、あま~い一晩を過ごしたあとの
気持ちの高ぶりを、
敦忠はおさえることが、できなかったのかもしれませね。
おわりに
百人一首の恋の歌シリーズ、いかがだったでしょうか?
やはり現代人も古人も、
恋する気持ちはかわらないようですね。
切なくて、不安で、真剣なんです。
服装や生活は変わっても、誰かを大切に想い
愛する気持ちだけは、今も昔も
そして、この先もずっと変わらないものなのかもしれませんね。